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劇団 SPINNIN RONIN 『OVER THROW』 を観劇

2012年の将棋電王戦、米長永世棋聖対ボンクラーズで米長永世棋聖が敗れて以来、将棋ソフト対プロ棋士のイベントは関心を持って見て来た。

 

翌2013年のPONANZA 対 佐藤慎一四段では初めて現役のプロ棋士が敗れ、三浦弘行八段 対 GPS将棋でもA級棋士の三浦弘行八段が敗れ、ソフトの実力が棋士を越えつつあることが示された。

 

以降はマシンを限定し、棋士に同じソフトを貸し出して事前の研究を許可し、まだ棋士が勝利する場面も見られた。

 

しかし昨2016年、叡王戦トーナメントで優勝した山崎隆之八段が電王トーナメントで優勝したPONANZAに先手、後手ともに敗れ、最強の棋士が研究を重ねて挑んでもほぼ勝てないことが濃厚になってきた。

 

将棋ソフト対プロ棋士の戦いがここまで注目を集めるのは、単にどちらが強いか、という興味だけではなく、人間の知能に迫りつつある人工知能がこれからの社会をどう変えていくか、という問題をいち早く突きつけられているからである。

 

こういう問題はあらゆる場所で議論されていて、既に聞き飽きた意見ばかり目にする。

「チェスは1996年にソフトが人間を追い越しているが、チェスが競技として衰退してなどいない」

「自動車がいくら速くなっても陸上競技はなくならない」

 

チェスと将棋ではプロ制度が全く異なるし、人間は走る速さでは元々犬にも適わないのであり、そういう体力的なことにより所を置いていない。


こんな論法では将棋やプロ棋士がこの先どうなるか、という問いに答えるには全く的外れなのである。

 

では、この問いにどう答えるか、と問われれば、「分からない」というしかない。
そのときに比べるべき事例は、自動車であれば、陸上競技ではなく人力車と車夫であり、写真と絵画、活版印刷と写植などではないかと思われる。

 

交通手段としての人力車は自動車によって無くなったし、活版印刷も写植技術によってほぼ絶滅に近い。絵画にただ正確に描写する以外の価値があれば、写真が発達しても画家は必要とされる。

 

そして、絵画にただ正確な記録以外の意味がある、などということは写真が登場してからでないと誰も考えもしなかったのである。

 

プロ棋士に求められていたものが、ただ将棋が強いことだけであったなら、棋士より強いソフトの登場によって車夫や活版印刷のように必要とされなくなるであろうし、それ以外の何かを我々に提供してくれるのなら、写真登場後の画家のようにこれからも職業として必要とされるだろう。

 

これはプロ棋士に限ったことではなく、やがては医者や弁護士といった職業でさえも、人工知能の発達により必要性を問われることになるだろうと言われている。だからその波がまず最初に押し寄せてきているプロ棋士の存在に多くの注目が集まっているのだ。

 

このようなことを今までの将棋電王戦を見ながら考えていたのだが、今回、劇団SPINNIN RONINが『OVER THROW』はそんな棋士をテーマとして舞台を演じた。

 

ネットの掲示板やニュース、コラムなどでも、自分の考えていたこと程度の論評さえなかなか見かけなかったし、これを舞台でやるとなったら何が出来るのか、正直想像もつかなかったのであるが、結論から言えば「やってくれた」と言わざるを得ない。

 

プロ棋士はこれからも必要とされるのか、「分からない」としか答えようのない問いに、ダンス、武術といった身体表現で答えることに挑んでいる。言葉で語ることさえ難しい問いであるが、もしかしたら言葉でないからこそ語ることが出来たのかもしれない。SPINNIN RONINが演じたのがどんな答えであったかは、これから見る人もいるかも知れないので割愛しよう。

 

人工知能の話になると、自分もそれが何なのか、どう役に立つのかよく分かってはいないし、プロ棋士対ソフトの戦いとなればどうしても観衆は棋士を応援することになる。

 

ソフトも作っているのは人間であるのだし、結局は人間と人間の戦いであるという見方もある。将棋電王戦では、棋士とソフト5対5の団体戦という形式が3年続いたので、ソフトを作る側の舞台裏なども比較的見ることができた。チェスにおいては国家の威信をかけて大企業が作ったのに対し、将棋のソフトはほとんど個人が制作している。この点ではプログラマーへの興味も引いて、将棋ファンの間では人気者となるプログラマーも出た。

 

しかし一般的にはソフトは得体の知れないモノである。電王戦の先手後手を決める振り駒のイベントに招かれた安倍総理の激励が、棋士に対してだけだったのをよく覚えている。あの場面で日本のIT技術を担う者達への言及もあったなら総理の株ももっと上がっただろうと思うと残念である。

 

そんな一般的な常識の中で、SPINNIN RONINはプログラマーを演じるのに棋士と同じ比重を置いた。

 

今の将棋ソフトは棋士の棋譜を参考にした時代を離れ、自ら対戦を繰り返すことによる自己学習によって強くなっている。しかしこの舞台ではさらにその先を行く将棋以外のプログラムが自ら将棋を指すことを選び、人間と対戦する場を作り強くなっていくという設定である。

将来、人工知能が更に自分を超える人工知能を作り出し、人間の頭脳レベルではもはや予測不可能な未来が訪れると言われているが、そういった問題についても意識しているのだろう。

 

コンピューターが自我を持つようになる、といったストーリーはよくあるが、実のところ自分以外の人間に自我があるのか、我々は想像することしかできない。他者の表情や行動から、自分以外の人間にも自分と同じ自我があるのだろうと想像しているのだ。これは、機械についても同じで、その振る舞いから自我を持っていると判断すれば機械にも人格が宿っていると扱われることになる、と考えられる。舞台の中のマシンにそう思わされる表現があったのだが、こんな理屈をこねなくとも表情ひとつでそのように見せる表現にも驚かざるを得ない。

 

莫大な予算や凝ったCGを使ったハリウッド映画でも、未だにロボットの反乱などという陳腐なテーマも多い中、非常に作りこまれた演出である。

 

奇しくも3月11日、12日とニコニコ動画でアマチュアが最強の将棋ソフトPONANZAに挑戦して勝てたら300万円、という企画があった。例年プロ棋士とソフトの対局前に行われるイベントであるが、PONANZAが強すぎてアマ強豪が挑んでも全く歯が立たず、興味が薄れていた。今年は駒落ちでもやればいいのに、と思っていたらなんとそれが実現していた。しかも飛車落ち、角落ち、自分の飛車角が最初から成った状態から、などのバリエーション豊富で、そのハンディによって賞金も上下する。たいへん楽しめる企画になっていた。ソフトもただ強いだけでは面白くない。どうやって人間と関わっていくかが問われる時期に来ていると感じられた。

シンクロニシティとパラレルワールド

久々にビリヤード友達とカラオケに行ってきた。

本当に久しぶりだったので、行く前日にはyoutubeを巡って歌えるレパートリーを確認していた。今まで歌ったことがないのも入れないとなぁー、と思いながらあちこちクリックしていると、吉幾三の「ドリーム」という曲が出てきた。 新日本ハウスのCMソングで、イントロを聴けば誰でも「あ、この曲か」と分かる曲だ。

簡単な曲だし、みんな必ず知ってるからこれはウケるわ、と思ってほくそ笑みながら何回か練習して覚えた。テレビ番組で本人が歌っている映像を見てちょっとした振り付けまで真似てみた。

いざ当日、何曲か歌って、そろそろこの曲でウケ狙いのタイミングだな、と見計らいリモコンで探してみる。ところががなかなか出てこない。「吉幾三の」でも「ドリーム」でも見つけられなかったので、「やはりCMソングだから入ってないのか」とあきらめ、他の曲を入れた。

ところが、なんとその直後にそのイントロが流れてきたのである。

「見つからなかったのになんでこれが流れてくるんだ?」と訳がわからなかった。自分が無意識のうちに入力していたのか?自働で入れてくれる補間機能でも付いたのか?

すぐにSさんが「住みなれたー」と歌い始めたので、「あ、これはSさんが入れたんだな」ということは分かったのだが、まだ混乱状態である。本当に自分が入れようとした直後だったし、まさかこの曲でかぶるとは思ってもいなかったからである。

「いやぁ、これ、今入れようとして見付からなかったのでびっくりしましたよ」、と準備してきた経緯なんかも熱弁してみたが、そんなことは皆知る由もないので空回りの感は否めず。

そんな混乱状態をひきずったまま、銭湯によって帰ろうと、H君と駅に向かう。

最近はこの辺りには来ていないが、学生の頃は住んでいた場所なので銭湯の場所は知っている。「そこの銭湯に寄ってから帰るよ」と言うと「ああ、松の湯ですね」とH君。

「え?そこは「高木湯」じゃないか?」と言うが「松の湯ですよ」と譲らない。

3年あまりそこに行っていたんだから間違えるわけがないだろう、と行ってみると壁に大きく「松の湯」とある。

あれれ?ここは「高木湯」ではなかったのか・・・。もしかして改名でもしたのかと思い、帰ってググってみたがそのような情報は無い。昭和20年代の創業から「松の湯」だったようだ。

「高木湯」は近くにもう一軒ある別の銭湯だったが、昨年廃業している。この2軒は姉妹店で、という情報があり、もしかしたらそれを聞いて混同していたのかも知れない。

ちょっと気になったのは「松の湯」の場所を「高木湯」として紹介してるブログの書き込みがひとつだけあったことである。あるいは自分とこの書き込みをした人は同じパラレル・ワールドから移動してしまったのかも知れない。

今日起こったこのような奇妙な現象を解明する手がかりが思いついた。

「若年性認知症」

晩秋の天体観測

本格的に寒くなる前に撮影したくて、行ってきた。
ISO6400 シャッタースピード2.5秒 絞り5.6は共通。

オリオン座 標準(50mm)。

オリオン大星雲 望遠(200mm)。

上のを画像処理ソフトで拡大。

木星はこんなくらいしか撮れない。望遠(200mm)。縞はどれくらいの望遠鏡なら取れるのだろうか。

すばるはかなりよく撮れた。望遠(200mm)。
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